上田独特の漆器、花岡塗

花岡塗

上田藩主松平家が作らせた漆器

花岡塗とは、上田藩主松平家に塗師(藩工)として召し抱えられていた花岡氏により、江戸後期に始まった上田独自の漆器です。「塗り」と「研ぎ出し」を高度な技術をもって行い、金箔と黄・緑・赤・茶・黒の漆の模様を浮き上がらせることによる、極めて華美で斬新な色彩が特徴です。

花岡塗作品群

謎に包まれた花岡塗

花岡塗はミステリアスです。
その始祖は、幕末から明治、花岡半平という上田藩お抱えの刀の鞘師だと語り伝えられています。花岡氏は、初代の花岡平吉、二代の半平、三代の喜作まで、70年に渡って上田藩に「塗師職」として勤仕した家職の藩工でした。廃藩後は、四代の半平(二代目半平の子)が継ぎ、そして五代の周次郎(四代目半平の子)が亡くなる明治42年(1909)まで塗師を続けていたことが分かっています。
しかし、「花岡塗始祖と伝えられる「半平」とは二代目のことなのか?四代目のことなのか?」「どの代まで花岡塗を制作しつづけていたのか?」はっきりとしたことは分かっていません。

花岡氏 技法としては出雲の八雲塗りの流れを汲み、赤、青、黄、緑などの豊富な色合いを研ぎ出しの技法を用いて、一層手の込んだ斬新なものに仕立てられています。しかし花岡塗の生い立ち、技法の詳細に関しては何の記録もなく、ただ塗られたものが旧家や商家を中心に残っているだけでした。
あの斬新で類まれな表現は一体どこから来たものなのか。今となってはそれを教えてくれる人はいません。

花岡塗の重箱

花岡塗の再興

そんな花岡塗に魅せられ、大正から昭和初期にかけて復活に力を尽くした二人の塗物師がいました。西沢太忠(たちゅう)と弟子の小林里一郎(さといちろう)がその人です。 二人は花岡塗に出会い魅了され、消え行く美しさを何とか復活させようと花岡塗の再興に挑んだのでした。
西沢太忠は上田市馬場町で西沢塗師屋という工房を営んでおり、そこに弟子入りしたのが小林里一郎です。二人は古道具屋や町の人から花岡塗の修繕を依頼されたのを機会に、その塗り方や製造工程を調べて研究し、花岡塗の技術を体得して行きました。

花岡塗の復活は楽なものではありませんでした。その技法は、高度な技術に裏打ちされた「塗り」と「研ぎ出し」によるもので、いずれも大変に時間をかけるものです。
「塗り」では花岡塗を施す部分と地がすりあがった時にひとつの面になるように塗って行きます。たくさんの色や金泊をひとつひとつ塗っては乾かし、乾かしては塗る、を繰り返します。その後、丁寧に正確に「研ぎ出し」て発色させます。そうやって現れる「うるみ」と呼ばれる特に輝く部分は、金箔を貼って研いだもので、花岡塗では最高の技術となるものです。こうして花岡塗は見事蘇りました。

花岡塗の現状

復興した花岡塗の制作技術は、小林里一郎氏のご子息である小林泰夫氏、ご令孫の小林健二氏によって受け継がれました。飯島商店上田本店に展示している花岡塗は、健二氏のご厚意により借り受けているものです。

多くの方に存在と価値を知っていただくことによって、守られる文化もあります。ぜひ、上田本店にて花岡塗の作品をご覧くださいませ。

参照・引用:真田坂第22号(上田市松尾町商店街振興組合刊)、花岡塗と小林里一郎(花岡塗研究会刊)、上田市立博物館『花岡塗の陣笠』、上田藩の人物と文化 (上田市立博物館刊)