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登録有形文化財とは
登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)は、1996年の文化財保護法改正により従来の「指定」制度に加えて、「登録」制度が創設され、文化財登録原簿に記載された有形文化財のことです。
この登録制度は、近年の土地開発や都市化の進展、生活形態の変化により、近代化の波を受け、破壊の危機からより多くの建築史的・文化的価値がある文化財建造物を守り、後世に継承していくために国の指定する重要文化財指定制度を補うものとして、柔らかな規定のもとで、幅広く文化財として保護する制度として登録有形文化財は創設されました。
飯島商店の登録有形文化財一覧
登録番号名 称建築年代
20-0317飯島商店店舗棟大正13年
20-0318飯島商店事務所棟明治27年
20-0319飯島商店作業所棟明治27年
店舗棟の紹介
店舗写真
飯島商店の店舗棟は大正13年の木造建築です。外壁に「石目地」と呼ばれる表面をざらざらに仕上げる壁塗りをしているため、まるで石造りの建物のように見えます。
当時は洋風文化が本格的に日本に流入し始めた頃でして、盛んに建築にも洋風なものが取り入れられていました。 ですが、まだまだ建築工法の世界では洋式建築の知識は一般的ではなく、日本古来の木造様式が主流でした。
そこで、得意とする木造建築の知識を駆使して、洋風建築を実現しようとする和洋折衷の独自技術が発達したのです。石目地造りの店舗棟は、和洋折衷の時代だった大正モダニズムをよく表しています。
店舗棟の写真
外壁の石目地の様子
外壁の石目地を拡大したものです。
小さな玉砂利を混ぜたモルタルを壁に塗り、水を含んだ筆でモルタル部分を洗い落として玉砂利を浮き上がらせる工法(洗い出し)により、まるで石の表面のような造形に仕上げています。
石目地
店舗棟上部の櫛形飾り
建物の外観装飾は当時流行していたアールヌーヴォー、アールデコに影響を受けたものとなっています。
外観装飾
店舗棟の屋根裏
屋根裏から見ると木造であることがよく分かります。
屋根組みはキングポストトラスという構造でして、明治から大正期の近代建築によく見られます。
屋根裏
新築当時の店舗棟
新築して間もない大正時代の店舗棟の写真です。
本社ビルとして建てられたものでしたので、当時は今のようなお店ではありませんでした。入口に大八車があることからも分かりますが、一階は卸売り用のみすゞ飴の出荷場でした。
大正時代の店舗棟
建造当時、製糸業を中核とした国の殖産興業政策により、全国有数の養蚕・蚕種の拠点だった上田は空前の活況に沸いていました。好景気に乗じて数多くの洒落た洋風木造建築が上田に建てられましたが、その中でも飯島商店のアールデコ調洋館の3階建ては、目を見張るハイカラなものでした。
しかし昭和中期になり、道路拡幅と同時に進められた商店街近代化事業によって、当時の美しい建物は惜しくも次々に取り壊されてしまいました。飯島商店の店舗は上田駅前に唯一残った、大正モダニズムを今に伝える貴重な建築遺産です。
事務棟・作業棟(旧繭倉)の紹介
繭倉写真
土蔵造りの事務所棟と作業棟は、明治27年、上田倉庫(現 諏訪倉庫)の蚕繭集積倉庫として建築されました。そして明治21年の信越線上田駅が開通以降、右肩上がりに増加していた蚕繭出荷の前線基地として活躍しました。
明治時代の上田は日本一の蚕種出荷量を記録したこともある養蚕の一大拠点で、日本国の殖産興業を支えていました。蚕都上田の名に相応しく、当時は数十棟の繭倉が上田駅前に軒を連ねる威容を誇っていたのです。

しかし終戦後は一転して生糸関連産業が急速に衰退し、役割を終えた繭倉は次々と取り壊されました。ここで見られる2棟の繭倉は、蚕都上田として隆盛を極めた当時の駅前風景を今に伝える、唯一の産業遺産となっています。
事務棟・作業棟の写真
煙突
屋根の上に煙突があります。
これは蚕種や繭を信州の冬の厳しい低温から守るために使用していた石炭ストーブの名残です。
煙突
明治末期の上田駅前風景
明治37年1月に撮影された、上田駅前に建ち並ぶ繭倉の風景です。
明治大正の文豪である島崎藤村の代表作「破戒」の中で、舞台として登場する『高い白壁造りの倉庫』はこの繭倉です。破戒が公表されたのは明治38年ですので、この写真が主人公の丑松たちが歩いた光景そのものだということになります。
写真の真ん中にある倉が、現在の事務棟になります。両脇の繭倉は昭和中期に壊されてしまい、現存していません。
明治37年の写真